伊勢を目指して誕生した西富田駅
かつて伊勢国の朝明郡に属していた富田。鎌倉時代には富田御厨があり、古くから美しい田園が広がっていたことからその名が付いたと言われている。さらに歴史をさかのぼると、景行天皇の皇子である日本武尊が東征に向かった故事が興味深い。『古事記』によると、日本武尊は能褒野で倒れた後に白鳥となり、熱田へ向かう途中にこの地に立ち寄った。これは富田地区にある鳥出神社の起源とも言われ、白鳥が飛んだことから「とんだ」とも呼ばれていたという説がある。
1929(昭和4)年1月30日、そんな美田の地に伊勢電気鉄道西富田駅(現在の近鉄富田駅)は誕生した。開業区間は四日市・桑名駅間。当時は参宮急行電鉄が大阪方面から伊勢神宮への参拝の便を図るため、建設工事を進めていた頃。伊勢電気鉄道は桑名や四日市、津、遠くは名古屋から誘客すべく、線路の延伸を計画していた。
1930(昭和5)年4月に津新地・新松阪駅間開業、同年12月に新松阪・大神宮前駅間が開業し(いずれも現在は廃駅)、北は桑名駅から南は宇治山田市(現在の伊勢市)の大神宮前駅までが結ばれると、伊勢電気鉄道も興隆を極める。グリーンの車体に二人掛け座席を配した特急「神路(かみぢ)」や「初日(はつひ)」が一日二往復し参拝客を運んだ。かつての急行車や普通車には荷物室がついており、行商目的の農家の人々は自転車を車両に積み込んで移動したという。隣の霞ヶ浦駅の霞ヶ浦遊楽園のにぎわいとともに、地元の人々の「足」として愛された、さぞかしのどかな路線だったことだろう。
合併を経て近鉄駅に伊勢湾台風の被害も
伊勢電が全盛期の正月は、高田本山のお七夜に向かう客で車内は超満員に。夏になると車内に提灯をつけた納涼電車がにぎわった。しかし次第に経営状況が悪化すると、伊勢電気鉄道は1936(昭和11)年9月に参宮急行電鉄と合併。西富田駅は参宮急行電鉄の伊勢線の駅となった。さらに1941(昭和16)年3月、大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併して誕生した関西急行鉄道の関急富田駅となり、1944(昭和19)年6月、関西急行鉄道と南海鉄道が合併し近畿日本鉄道富田駅に変わった。
1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風時には、富田地区の大半が床上浸水。道路にあった自動車は流され、駅舎も水に浸かった。その被害は名古屋線全線に及び、至るところで道床や路盤が流出。台風の襲来前から綿密に計画されていた名古屋線の拡幅工事は変更を余儀なくされた。急ピッチで進められた工事は、伊勢湾台風後の11月に近鉄四日市・富洲原駅間6.8qが終了。その後も連日、千数百人を動員して、わずか9日という短期間で工事を終えたと記録されている。
三岐鉄道が接続しより魅力あふれる駅に
現在、近鉄富田駅には三岐鉄道三岐線が接続。いなべ市方面から三重県中心部へのアクセスを快適にする一方で、藤原岳や宇賀渓谷を目指すハイカーにも利用されている。実は三岐鉄道は、かつて国鉄富田駅(現在のJR富田駅)に接続していた。ところが、三岐鉄道の利用客の8割以上が国鉄富田駅から歩いて近鉄富田駅に向かっていたことから、1970(昭和45)年に連絡線を新設して直接乗り入れすることになった。
1995(平成7)年4月、近鉄富田駅の新駅舎が完成。ベージュ色の壁に鈴鹿山脈をイメージした緑色の屋根がアイキャッチになり、完成時には記念入場券も発売された。現在も市民の足として親しまれながら、春には十四川堤の桜が、夏には鯨船神事などが楽しめる地として観光客も足を留める。近鉄富田駅に降り立った際は、伊勢電から刻まれる歴史を思い出し、郷愁にひたるのもいいだろう。 |
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| 現在の近鉄名古屋線に架かった木曽川橋梁と、“緑の弾丸”といわれた関西急行電鉄1形電車 |
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(左)1936(昭和11)年頃の伊勢電気鉄道沿線案内。桑名駅と大神宮前駅を85分で結んだ
(右)1959(昭和34)年10月11日、中日新聞に掲載された伊勢湾台風の浸水地域図。赤の太線は台風襲来時に浸水した地域、斜線はまだ水が引かない地域 |
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名古屋線用として新造した半鋼製電車モニ6261形。
写真は1957(昭和32)年に撮影 |
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| 旧駅舎の様子。1994(平成6)年8月撮影 |
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| 現在の近鉄富田駅。鈴鹿山脈をイメージした緑色の屋根が爽やか。ホームは乗降客数にあわせて延伸され、現在は135mの長さに |
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