鈴鹿線開業から約40年を経て誕生した駅
伊勢湾岸地域における屈指の内陸工業都市である鈴鹿市。国際交流など市民文化の向上にも積極的で、海外からの観光客も少なくない。歴史をさかのぼると、古くから東国に通じる交通の要衝であり、奈良時代には伊勢国府があった地としても知られる。当時は中央政府から派遣された国司を中心に、儀式と饗宴、政務などが行われていたようだ。
そんな鈴鹿市には現在、近鉄名古屋線と鈴鹿線、JR関西本線、伊勢鉄道線が走り、市民や観光客に利用されている。今回取り上げる平田町駅は、近鉄名古屋線の伊勢若松駅から西へ延びる近鉄鈴鹿線の終着駅。周辺には大型ショッピングセンターやメーカーの工場が建ち、鈴鹿市の中心エリアとして発展を続けている。平田町駅の誕生は1963(昭和38)年4月8日と、近鉄全線の駅の中でも比較的新しい。鈴鹿線そのものは約80年前に開業。それから約40年後、鈴鹿市の発展にともない路線を延伸した形だ。
狭軌を走る蒸気機関車から始まった歴史
鈴鹿線の前身は、1925(大正14)年12月20日に伊勢鉄道神戸支線として開業した、伊勢若松駅・伊勢神戸(現在の鈴鹿市)駅間がそれに当たる。開業当時は今の線路の幅よりも狭い「狭軌」で、線路を走る列車は蒸気機関車。伊勢神戸駅を出た列車は、伊勢若松駅から北は国鉄四日市(現在のJR四日市)駅へ、南は津新地駅(現在は廃駅)へと向かった。なお神戸支線の計画段階では、西名張駅(現在は廃駅)と伊賀上野駅を結んでいた伊賀鉄道との接続も、構想にあったと聞こえてくる。もし実現していたら、渓谷美を楽しむ路線になっていたかもしれない。
1926(大正15)年9月11日、伊勢鉄道が伊勢電気鉄道に社名変更。同年12月26日には全線が電化する。1936(昭和11)年になると、参宮急行電鉄が伊勢鉄道と合併。同電鉄の伊勢神戸線となり、1941(昭和16)年3月15日に大阪電気鉄道が参宮急行電鉄を合併すると、関西急行鉄道の神戸線に改称された。そして3年後の1944(昭和19)年6月1日には、関西急行鉄道が近畿日本鉄道に社名を変更。1959(昭和34)年になると、名古屋線の軌間拡幅にあわせて、同線も拡幅されている。鈴鹿市駅から平田町駅まで路線が延びると同時に、線名は近鉄鈴鹿線に。2005(平成17)年11月8日の乗降客調査では、1日の利用客は5016人。主に名古屋市や津市方面へ向かう通勤通学客、平田町の工業団地に向かう人々を運び、近鉄名古屋輸送統括部が管轄する102駅の中で17番目に多い乗降客数を記録している。
案内標識ができた宿場町をめぐる旅へ
かつては名古屋線からの直通運転や、急行列車も走っていた鈴鹿線。現在は伊勢若松駅乗換えで、普通列車のワンマン運転となったが、平日午前7時51分(土休日は午前7時50分)の近鉄四日市駅発平田町駅行きを運行するなどし、朝の通勤通学の利便性を高めている。伊勢若松駅を出ると、車窓はのんびりとした田園風景に。平田町駅からは路線バスや鈴鹿市のコミュニティバスが運行され、歌川広重の「東海道五拾三次」にも描かれる石薬師寺や、歌人であり、国文学者として有名な佐佐木信綱の功績を伝える記念館にもアクセスできる。特に鈴鹿市では、今年の5月に鈴鹿市観光まちづくり委員会主催「東海道案内標識設置記念イベント」を実施し、旧東海道石薬師宿・庄野宿間に案内標識が設置されたばかり。平田町駅を基点とした、歴史散策に出かけるのも良いだろう。 |
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| 1930(昭和5)年に製造されたモハニ231系。伊勢電気鉄道時代の神戸支線(現在の鈴鹿線)を駆け抜けた |
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| 1963(昭和38)年に新設された平田町駅の様子 |
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| ワンマン列車が乗り入れる駅には、運転士が乗降客を確認できるようホームにミラーが設置されている。車両には運賃表の掲示も |
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(左)現在の平田町駅。塗り替えられたものの、新設当時と建物は同じである
(右)鈴鹿線延長工事竣工時には式典が開催された |
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| 伊勢若松駅で出発を待つ平田町駅行普通列車。行き先を示すプレートに「ワンマン」の文字が見える |
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