高田本山駅と津駅の中間駅として開業
江戸時代に人々が大挙して伊勢神宮を目指した「おかげ参り」は、街道沿いを発展させ、周辺の文化や産業を育んだ。今回訪れた江戸橋駅も、近くには伊勢街道と伊勢別街道が通り、今でも街道沿いを歩けばかつての面影に触れることができる。志登茂川に架かる江戸橋の西詰めには、1777(安永6)年に建てられた、津市内に現存する最古の常夜燈があり、木製の欄干や昔ながらの建物と織り成す情景も趣き深い。
江戸橋駅誕生の歴史を探ってみると、伊勢鉄道創生期にたどり着く。津市と四日市市を結ぶべく誕生した伊勢鉄道は、1915(大正4)年に白子駅・一身田町(現在の高田本山)駅間を開業した後、南北に少しずつ路線を延長する。やがて1917(大正6)年には津駅へ到達。江戸橋駅は一身田町駅・津駅間の中間駅として設置され、同年1月1日に開業した。
当時の駅舎は現在地より100メートル南に位置し、単式ホーム1本を有するだけの小さな駅だった。狭軌のレールの上を往来するのはドイツ製の小さな蒸気機関車。そんな歴史を知るだけで、今とは違うのどかな光景が想像できるだろう。
名古屋と大阪を結ぶ新ルートが完成
1926(大正15)年、伊勢鉄道は社名を伊勢電気鉄道に改め、電化工事を完了。桑名や四日市、津、遠くは名古屋から、伊勢神宮へと人々を運ぶべく、延伸を進めていった。1929(昭和4)年に四日市駅・桑名駅間が、1930(昭和5)年に新松阪駅・大神宮前駅間(ともに現在は廃駅)が開業すると、同社は三重県を代表する一大私鉄に成長。しかし1927(昭和2)年に起こった世界的大恐慌の影響を受けて経営が悪化し、1936(昭和11)年に参宮急行電鉄に合併されると、江戸橋駅は同社伊勢線の駅に変わった。
その後、参宮急行電鉄の津線と、伊勢線(旧伊勢電気鉄道)の接続駅に決まった江戸橋駅は、ホームの改修が進められる。1938(昭和13)年6月に、後に参宮急行電鉄と合併する関西急行電鉄が桑名駅・名古屋駅間を開業すると、江戸橋駅乗り換えで名古屋駅・上本町駅間を3時間余りで結ぶ日本一の長距離路線が実現。名古屋駅・大神宮前駅間の列車と、上本町駅・津駅間の特急電車が1日2往復接続された。
なお、江戸橋駅で乗り換えが必要だったのは、津線が1435o、伊勢線が1067oという軌間の違いから。そのため同年12月に参宮急行電鉄は接続駅を、本線から津線が分岐する参急中川(現在の伊勢中川)駅に変更。これに伴い、名古屋駅・参急中川駅間が本線の名古屋線となり、江戸橋駅・大神宮前駅間は支線の扱いに。名古屋線は伊勢湾台風後に改軌されたが、伊勢線は狭軌のままだったため、1961(昭和36)年には廃線となっている。
住宅団地として開発が進む駅周辺
1944(昭和19)年より近畿日本鉄道の駅となった江戸橋駅は、近隣にあった紡績工場の従業員や、三重高等農林学校を前身とする三重大学の学生が利用する駅としてにぎわいを見せた。現在、紡績工場は解体され、跡地は住宅団地として開発が進んでいる。今後は、引き続き学生の利用する駅≠ニして、また津市中心部にほど近い住宅地の最寄り駅としても発展することだろう。
そして江戸橋駅に降りることがあったら、伊勢街道や伊勢別街道を歩き、おかげ参りで活況を呈した歴史のかけらを拾い集めてみるのも楽しい。風格のある常夜燈が旅路の安全を見守ってくれるはずだ。 |
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| 江戸橋駅で電車を接続していた頃の様子。上本町・宇治山田間の列車の1両を参急中川駅で切り離し、江戸橋まで乗り入れて、名古屋駅・大神宮前駅間の列車と接続した |
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| 現在の江戸橋駅。1959(昭和34)年6月に、元あった場所から100m北へ移転している |
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| 志登茂川に架かる江戸橋には木製の欄干が残る |
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| 1938(昭和13)年、名古屋駅・上本町駅間が結ばれた際に、名古屋・大阪両市長のメッセージを掲載した新愛知新聞(中日新聞の前身) |
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(左)伊勢参宮名所図会にも描かれた常夜燈は、高さ5.4m、最下段の幅2.8mの規模
(右)江戸橋から川上を眺めれば、どこか懐かしい光景に出会える |
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