地域観光の振興を図りロープウエイ開発に着手
718(養老2)年、浄薫和尚が薬師如来のお告げにより発見したと伝えられる湯の山温泉。鹿が傷を癒したという伝説から、「鹿の湯」とも呼ばれてきた。この辺りは、今年40周年を迎える鈴鹿国定公園にも指定されており、貴重な高山植物や、河川の浸食で生まれた渓谷も美しい。また温泉地の背後にそびえる御在所岳は、「鈴鹿セブンマウンテン」の一つとして知られる名峰。古くから登山客、ハイカーに親しまれてきたが、湯の山温泉と一帯になった開発は、地元民にとっての願いでもあった。
そんな場所にロープウエイの建設計画が持ち上がったのが1955(昭和30)年。全国でも有数の陸運企業に成長していた三重交通が、沿線開発の一環として取り組んだものだった。やがて御在所登山索道株式会社が設立され、商号を御在所ロープウエイ株式会社に変更。工事は1957(昭和32)年、現在の三交バス湯の山温泉駅から麓のロープウエイ湯の山温泉駅の間に、取付道路を建設することから始まった。
幾多の難工事を経て第一号ゴンドラが山上へ
建設資材などを運搬する貨物索道が完成すると、麓と山上の駅の建設が進められた。御在所岳は花崗岩質のため、ロープウエイを支える鉄塔を建てるために、山肌を発破することもあったという。特に難航したのが、標高1004mに建つ6号鉄塔である。基礎工事に使われたコンクリートは実に1800トン。その後、四日市の鉄工所で作られた骨組みが運び込まれ、焼いたリベットを打ち込んで固定していった。他の鉄塔は1週間ほどの工期だったが、20階建ビルにも相当する6号鉄塔は、組み立てだけで3ヶ月を要した。ようやく完成した6号鉄塔は、当時としては世界一の高さ。緑色であった骨組みは、遠方からも目立つよう1964(昭和39)年11月に白色に塗り替えられている。
ワイヤロープの架設にあたっては、細い線を作業員がかついで登り、鉄塔を越えながら山上を目指した。山上でウインチに巻き、少しずつ太い線を巻き上げる方法を繰り返し、最終的に麓と山上が直径60ミリのロープで結ばれた。
1959(昭和34)年4月28日、御在所ロープウエイの開通式が行われ、第一号ゴンドラが麓の湯の山温泉駅から山上公園駅へ向かった。翌29日から一般営業を開始。初日だけで5000人以上もの観光客が訪れ、にぎわいを見せた。
観光施設が築かれ一層にぎわう御在所岳
同年8月には、山上に御在所ユース・ホステルが完成。さらに御在所岳山頂と山上公園駅を結ぶ観光リフト、御在所スキー場、観覧車やバンガローも築かれた(ユース・ホステル、観覧車、バンガローは現在撤去)。映画のロケ地としても使われ、渥美清や川口浩など、著名人も多く訪れている。
1962(昭和37)年にできた御在所山上ホテルは、鈴鹿の山並みを眺められる浴室も話題をさらった。現在ホテルは閉鎖されたが、猪肉や山菜を使った料理は建物を利用したレストランで食べることができる。そして山上を語る上で外せないのが、1960(昭和35年に発足し、1973(昭和48)年には自然博物館が開設された日本カモシカセンターだろう。施設では世界で初めて、飼育化でカモシカの繁殖に成功。鈴鹿山系の動植物の保護、育成に尽力した同施設は、2006(平成18)年にその役目を終えた。
開通50年を迎えた今年はイベントも多い。8月2日(土)・3日(日)、9日(土)・10日(日)には、「ございしょナイトワールド」と題された、星の鑑賞会を開催。街の明かりがない暗闇で満天の星空を鑑賞できる絶好の機会となりそうだ。また、山上のレストランでは、7月19日(土)・20日(日)、8月2日(土)・3日(日)に、かつて人気を集めた「シカ肉カレー」を各日200食限定で再び提供する(問合せ/御在所ロープウエイ059-392-2275)。
さらに7月19日(土)〜8月10日(日)の土曜・休日には、近鉄名古屋駅・湯の山温泉駅間の直通臨時特急列車が復活運転。御在所ロープウエイが一層盛り上がるこの機会に、ぜひ足を運んでみたい。 |
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| 夏の御在所岳の様子。下に見えるのが高さ61mを誇る6号鉄塔 |
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上/1977(昭和52)年までは山上に観覧車もあった
左/1959(昭和34)年4月28日、開通式に先立って修祓式が行われた |
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| 基礎工事に9ヶ月、組み立てに3ヶ月を要し、ようやく完成した6号鉄塔 |
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(左)かつてゴンドラに同乗していたガイド嬢と、記念撮影をする俳優の川口浩氏(写真中央)
(右)1969(昭和44)年、「男はつらいよ」シリーズ第3作「フーテンの寅」のロケが行われ、渥美清氏も訪れた |
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(左)山上のレストランで提供される「シカ肉カレー」
(右)スキーヤーで埋まった湯の山温泉駅 |
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