紡績工場へ通勤する人々を乗せて
近世以前、安濃津と呼ばれていた津は、伊勢国の中心地として、また海運を司る港町として発展した。現在の町並みの基礎を築いたのは、1608(慶長13)年に入府した藤堂高虎。江戸時代、津は伊勢参りの宿場町として、そして明治維新後は県庁所在地、また製糸・紡績業の町として知られるようになった。
そんな津市に駅が誕生したのは1891(明治24)年。現在の場所に、国有化される前の関西鉄道(現在のJR関西線)が駅を設置したことに始まる。当時は第二次産業に従事する人々の足として大いに利用されたようだ。
今回取り上げる近鉄名古屋線の津駅が開業したのは、1932(昭和7)年4月3日。近鉄の前身会社の一つである参宮急行電鉄時代のエピソードになる。1927(昭和2)年に創立された参宮急行電鉄は、大阪方面から伊勢神宮へ、さらには名古屋への進出を目指していた。津駅を設営した同社は、当時大神宮前駅・桑名駅間などの路線を有していた伊勢電気鉄道と同駅で連絡。その後、経営が悪化した伊勢電気鉄道を1936(昭和11)年9月に合併。奈良県から三重県まで営業範囲を拡大し、名古屋進出の夢に一歩近付いた。なお伊勢電気鉄道が保有していた桑名・名古屋間の鉄道敷設免許は、1936(昭和11)年に設立された関西急行電鉄へ。参宮急行電鉄も建設を支援し、1938(昭和13)年6月に関西急行電鉄の桑名駅・名古屋駅間が開通している。
1941(昭和16)年3月には大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併して関西急行鉄道を設立。津駅は同社の名古屋線の駅となった。
希望をもたらした新しい名阪特急
関西急行鉄道が発足してまもなく、日本は太平洋戦争に突入。関西急行鉄道は1944(昭和19)年に南海鉄道と合併し、近畿日本鉄道が設立された(※後の南海電気鉄道は1947年に分離)。戦時中は名古屋線沿線の軍需工業地帯への輸送力を高めるため、名古屋線の複線化を実施。また戦火の広がりにともない、急行の運転を一時廃止している。
終戦後しばらくは、沿線に転入した戦災者や疎開者の通勤通学が増え、朝夕のラッシュアワーの混雑で車両故障が続出。長距離列車には買い出し目的の乗客が殺到した。津駅からも米や魚などを積んで名古屋や大阪へ行商する「かつぎ屋」と呼ばれる乗客が見られ、輸送の混乱が続いた。
輸送の復興は急ピッチで進められ、1947(昭和22)年には名古屋駅・上本町駅間を1日2往復する特急列車「すずか」「かつらぎ」が登場。レモンイエローとライトブルーに塗り分けられた電車には、女性の案内係が乗務したり、サロン風の座席が目を引く特別車が用意されたりと様々な工夫が施され、車両や施設の復興もままならなかった時代に希望をもたらした。1949(昭和24)年には1日3往復に、1952(昭和27)年からは4往復と列車数が増え、愛称も「あつた」「なにわ」が加わった。
改良工事が竣工利便性が高まる
日本の経済が復調し、やがて高度経済成長期に入ると、名古屋線の広軌化や新型ビスタカーの運行など利便性が高められた。時を経て1992(平成4)年、津市の人口は16万人を超え、津駅の利用客も増加。この頃になると、平日のラッシュ時には会社員や学生が、休日には三重県立美術館や津偕楽公園などを目指す人が多く利用するようになった。近鉄では同年に駅舎の改良工事を竣工。ホームから改札へ移動する通路を増やし、それまで茶色だった外観はベージュとグリーンが基調となり、より洗練された。
なお津市観光協会では、津駅を基点とした散策コースを提案している。津駅を出て美術館、藤堂高虎の居城跡であるお城公園を経由し、昼はブラックカレーや天むす、うなぎ、みそかつなどに舌鼓。食後は津観音、津なぎさまちへ向かい、バスで津駅に戻るコースとなっている。
自動車ではなかなか気づかない町の匂いや温もり。駅を拠点に歩けば発見も多い。豊かな自然と悠久の歴史が息づく津市へ赴き、季節ごとの魅力を見つけてみたい。 |
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(写真上)1947(昭和22)年に登場した名古屋線の特急列車。車両はモ6301
(写真下/右・左)現在の津駅。利用客数は一日約2万6000人で、三重県内の近鉄の駅では近鉄四日市駅に次いで2位 |
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| 1992(平成4)年には改良工事が竣工。工事中は西口に仮通路が設置された |
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駅の北側には、改良工事によりホームの幅が拡大される前の名残りが
(一般の立ち入りは禁止) |
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